そのほかの活動

戦績報告会

 毎年秋にその年の現役チームの戦績についての報告会を学生主導で行います。

ユニフォーム寄贈

ユニフォーム寄贈

(ユニフォーム寄贈)

 2018年には寄付を集め、新しいユニフォームを現役チームに寄贈しました。

優勝祝賀会

 平成30年度は34年ぶりに西医体で優勝しました。2018年9月15日に、ANAクラウンプラザホテル広島にて、OB104人学生36人の参加で、司会 中前監督 大下彰彦先生により盛大に優勝祝賀会を開催しました。

優勝祝賀会 優勝祝賀会

(優勝祝賀会)

 目の黒いうちに優勝した後輩に祝辞を述べられる岩森先生。安達部長の挨拶。

優勝祝賀会 優勝祝賀会

(優勝祝賀会)

 鏡開きは異例の2回になりました。写真左(左から、中前稔生監督、安達部長、岸、林、荒巻キャプテン、青儀)、写真右(左から、宮田前監督、益田、高永甲、井原、岡本拓也新キャプテン、緒方大智副キャプテン)

優勝祝賀会 優勝祝賀会

(優勝祝賀会)

 現役生。集合写真

福岡治仁先生を偲ぶ会

 昭和53年卒 福岡治仁先生が平成29年5月24日に65才で逝去されました。サッカー部OB有志が発起人となり、平成29年7月8日(土)、広仁会館で偲ぶ会を開催しました。

   ”福岡治仁先生を偲ぶ会”のお知らせ

主催 広島大学医学部サッカー部OB会 有志
 広島大学時代はサッカー部で活躍され、大学卒業後は卓越した放射線診断医として多くの患者さんを救い、後輩の指導にも情熱を注ぎ、そしてゴルフのシングルオウレイヤーでもあった福岡治仁先生が、去る5月24日に65歳の生涯を終えられ、旅立たれました。
 葬儀は、ご本人の遺志、ご家族の希望により家族葬とされました。
 しかし、生前の福岡治仁先生とともに、学び、遊んだ多くの人、そしてお世話になった方々がら、偲ぶ会をという声が寄せられていました。
 今回、ご家族の同意もいただきましたので、下記の予定で偲ぶ会を行うことにいたしました。
 硬い会は、福岡先生がきっと嫌がるでしょうから、軽食と少々ですがアルコールも用意して福岡先生の思い出を語る会にしたいと思いますので、ご参集ください。

 発起人は辻修一、石川哲大、影本正之各先生でした。

岩森茂先生を偲ぶ会

 岩森茂先生が平成30年12月16日に逝去されました。広仁会、修道医会が発起人となり、平成31年2月10日(日)、アンデルセンで偲ぶ会が開催されました。サッカー部後援会からも会長、副会長、影本先生の4人が参加しました。以下に会長の弔辞を掲載します。

  岩森 茂 先生を偲ぶ
          たかの橋中央病院 林 睦雄 ( 昭和46年卒 )


   岩森先生、生前の幾多のお教え、ご指導頂いた先生への弔辞とは、恐れ多いことですが、広大医学部サッカー部後援会、現役のサッカー部を代表いたしまして、失礼ではありますが述べさせて頂きます。

 岩森先生は、医学部のみならず、我々サッカー部の大先輩でもあります。昭和21年4月物資の乏しい中、サッカー好きの仲間を集められ、サッカー部を立ち上げられました。仲間には、亡き横路謙二郎(S27卒)先生、徳岡昭治(S27卒)先生もおられました。翌年広島では戦後初のサッカー試合を鯉城高校と戦われ、さらに西宮の全関西蹴球選手権にも出場し、2回戦大阪薬専に2:2で抽選負けしたそうです。岩森先生は左ウイングで出場されており、横路先生もFWで、徳岡先生はGKで出場されています。

 広大医学部サッカー部は、昭和27年 第4回西医体より出場していましたが、岐阜大、岡山大の壁は固く優勝できませんでした。昭和34年上村良一教授より先生がサッカー部部長に代わられたその年、西医体初優勝を遂げています。その後、私がキャプテンでありました昭和45年まで12年間部長としてサッカー部を盛り立てて頂きました。お陰様で、広大医学部サッカー部は西医体10連覇という全盛期を迎え、多いにお酒を呑ませて頂きました。

 また、Jリーグ開幕前年の秋、有志でサンフレッチェを応援する医師の会“サンフレ医会”を立ち上げた時にも支援して頂き、初代会長も引き受けて頂きました。サッカー部だけでなく、サンフレッチェへも熱く応援されておられました。

 私達にとって岩森先生は、大先輩であられますが、オヤジの様な先生でした。我々みんなサッカーだけでなく、医師としてのご指導もいただき、可愛がって頂きました。 サッカー部の会にも努めて出席して頂き、現役への叱咤、激励をなされ、最近は“わしの目が黒いうちに優勝してくれ”とよく言っておられました。昨年、現役のサッカー部が、実に34年振りに西医体優勝をしてくれました。優勝祝賀会で岩森先生の、お喜びの言葉を聞けたこと、皆が大変喜んだこと、昨日の様に思い出されます。その時が、先生との最後になってしまいました。先生の悲報を聞き、もっとお会いしていればと、悔やまれます。

 先生、後輩は皆頑張っております。これからもどうぞ医学部の後輩、広大医学部サッカー部、また後援会の皆を見守っていて下さい。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

合掌

岩森茂先生を偲ぶ会

(岩森茂先生)

 

「岩森茂先生を偲ぶ会」の報告
52卒 高永甲 文男


 2月10日広島アンデルセンで広仁会と修道医会主催で開催され、本会より林会長、石川副会長と私、広島市民病院機構理事長でもある影本先生が出席しました。総勢40名程度の参加者で、岩森先生が所属されていました第1外科および原医研外科からの関係者等も出席されていました。
 まず原田康夫元広仁会会長・大学学長から弔辞があり、昔から岩森先生と関わりの深い先生方からの弔辞がありました。その弔辞で述べられたことは、おおむね一致した内容でした。「優秀な先生であり、大変厳しい指導を受けた」「その反面、とっても面倒見がよくずいぶんとかわいがられた」などでした。私もまったく同じ思いでした。
 林会長からも弔辞を述べられましたが、岩森先生の広大医学部サッカー部での経歴は初めて知る内容も多く、あらためて我々の部の発展の中心的役割を担われてこられたのだと思いました。
 私の岩森先生の思い出のなかで一番強烈に心に残っていることがあります。私が大学2年生の時、西医体直前の合宿で広島の高校との練習試合の観戦に来られました。確か4-1ぐらいで勝った試合で自分たちはまあまあいい試合をしたと思っていたところ、試合後に総監督であった岩森先生からの第一声「つまらん試合をしてから」と叱責をいただきました。そこで本当に身の引き締まる思いがして、その後その言葉を自分自身は非常に大切にしています。何事も高いレベルを目指さないといけないと思った大切な言葉になりました。先生がお亡くなりになる少し前まで、時々先生に患者さんのことなどで電話をいただいたりしていました。先生の患者さんへの面倒見の良さをいつも感じていました。
 岩森先生のご冥福を祈ります。

[追悼スピーチ] 岩森先生の思い出
及川病院 及川達司(昭和46年卒) 2019/3/2

 去る2019年3月2日、ANAクラウンプラザホテル広島で開催された2019年度広島大学医学部サッカー部後援会総会・懇親会で、福岡市でご開業の及川先生が、皆さんを代表して追悼スピーチをされました。このときの手持ち原稿を、メーリングリスト用に頂きましたので、皆さんに紹介します。(高田 昇)

 岩森先生は広大医学部サッカー部の大先輩であり、私の出身医局の大先輩でもあります。ここにご出席の皆様も様々な思い出がおありのことと存じます。余りにも偉大な先輩であるので「群盲象を撫でる」の感は否めませんが、私なりの思い出を述べさせていただきます。
 私はS.40年入学、直ちに広大サッカー部と医学部サッカー部の両方に入部しました。その年は西医体優勝3連覇目で部長は岩森先生でした。その後西医体優勝は至上命令で、私たちが最終学年のS.45年8連覇を果たしました。その時まで部長は岩森先生でした。
 翌S.46年医学部を卒業しました。当時卒業するとどこかの医局に入局しなければなりませんでしたが、私は岩森先生の勧誘もあって、岩森先生が助教授であり、またサッカー部先輩の若山先生が入局された原医研外科に入局しました。しかしその年、岩森先生は四国愛媛の宇和島社会保険病院院長として赴任され、大学にはおられませんでした。
 入局して1年後に岩森先生のおられる宇和島社会保険病院へ6か月間出張することになりました。当時岩森先生は宇和島市より東へ約15q離れた出目国立療養所にも籍を置かれ、月に数回そこへ出張診療されていました。それにわたくしはいつも同行し、一般外科外来の基礎を叩き込まれました。当直も同じ畳の部屋に泊まり込みでした。
 ある当直の日私はすぐ寝入りましたが、翌朝隣の枕もとを見ると岩森先生の書かれた原稿があり、偉い人は違うなとひどく感銘を受けたことを思い出します。3度の病院食も一緒、宇和島から出目までの車中も一緒という我々の姿を見て出目の病院の人々からは「子連れ狼」と呼ばれていたことを懐かしく思い出します。
 その後岩森先生は赤字で身売りするしかなかった宇和島社会保険病院を全国で第3位の黒字の社会保険病院にされ、S.55年 安佐市民病院の副院長として広島に帰ってこられました。その後の活躍は皆さんよくご存じのことと思います。
 原医研外科の同門会を一朶会といいますがその名付け親も岩森先生です。一朶会で年に一度お会いしていましたが、85歳の時、僧帽弁置換術を受けられました。その後急速に体力が衰えられ、坐骨神経痛も併発され、一朶会にもあまり出席されなくなっていました。
 ところが昨年我がサッカー部が34年ぶりに西医体優勝を遂げてくれました。その優勝祝賀会に奥平先生の介助のもと岩森先生が出席され、祝辞を述べられました。余程うれしかったのだと思います。その時岩森先生とお話したのが最後となりました。
 このような最後にお会いできる機会を作って頂いた医学部サッカー部そして後援会の皆様に本当に感謝致します。
 岩森先生、どうぞ安らかにお眠りください。

第1回 楽しむフットサル大会(仮称)

   2022年に就任された高永甲新会長が総会で発案され、会員間の親睦を深める目的でフットサル大会を開催する運びとなりました。
 第1回の大会は2023年9月24日、マリーナホップのミズノフットサルプラザで、写真の如くの12名での参加で開催されました。秋のすがすがしい1日を、久しぶりに集まった懐かしい顔で、思うに任せない体に苦労しながら、フットサルを楽しみました。この試みは引き続き開催される予定です。

第1回フットサル大会 第1回フットサル大会

(第1回フットサル大会 注.林前会長が少し遅れて参加されています)

第1回フットサル大会 第1回フットサル大会

(第1回フットサル大会 会長より寄付の用具)

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