創成期〜第一期黄金期
1946年〜1962年

年度
開催地
優勝校
広大順位
主将
監督
部長
昭和24年(1949年)1  不参加徳岡昭治  
昭和25年(1950年)2  不参加   
昭和26年(1951年)3  不参加   
昭和27年(1952年)4明石岐阜大学3位荒木 寛 上村良一
昭和28年(1953年)5岐阜岐阜大学1回戦敗退荒木 寛、倉田昭典 上村良一
昭和29年(1954年)6徳島岐阜大学2位児玉 格 上村良一
昭和30年(1955年)7京都岐阜大学2位横崎元雄、永田信雄 上村良一
昭和31年(1956年)8岡山岡山大学2位児玉 求、永田信雄 上村良一
昭和32年(1957年)9福岡岡山大学4位斎藤泰造 上村良一
昭和33年(1958年)10名古屋岡山大学4位中前恒則児玉 求上村良一
昭和34年(1959年)11大阪広島大学1位梶尾克彦児玉 求岩森 茂
昭和35年(1960年)12広島広島大学1位茶幡隆之児玉 求岩森 茂
昭和36年(1961年)13京都神戸大学2位岸 明宏児玉 求岩森 茂
昭和37年(1962年)14熊本 2回戦敗退岡田 宏児玉 求岩森 茂

サッカー部の設立

○ 昭和20年12月安浦海兵団跡に広島医専の授業再開

○ 昭和21年4月ごろからグループ活動が芽生え、サッカー部創部
部員(敬称略):岩森、徳岡、横路、岸槌、梶川、徳井 - - - 広大系
        眞神、飯倉、服部、岡野、加藤、星島、山本、村田 - - - 岡大系

○ 昭和22年4月 鯉城高校(旧広島一中、現国泰寺高校)と試合
        戦後広島での最初のサッカー試合  勝敗は ?

○ 岡大と練習試合 (上村教授(部長)の仲介にて) 2試合とも負け ?

○ 全関西大学高専蹴球選手権 (西宮)
 一回戦 不戦勝
 二回戦 大阪薬専 2:2で延長でも決着せず 抽選負け
   FW: 岩森、横路、倉田、加藤、梶川 MF:岸槌、眞神、串田 DF:徳井、細馬 GK:徳岡
   岩森は左ウイングで出場

大学医学部三十年史 医専一回生 岩森 茂 記

初優勝前

年度
開催地
優勝校
広大順位
主将
監督
部長
昭和24年(1949年)1  不参加徳岡昭治  
昭和25年(1950年)2  不参加   
昭和26年(1951年)3  不参加   
昭和27年(1952年)4明石岐阜大学3位荒木 寛 上村良一
昭和28年(1953年)5岐阜岐阜大学1回戦敗退荒木 寛、倉田昭典 上村良一
昭和29年(1954年)6徳島岐阜大学2位児玉 格 上村良一
昭和30年(1955年)7京都岐阜大学2位横崎元雄、永田信雄 上村良一

○ 広島県立医専から、県立医科大学、広島医科大学と引き継がれる間に、 サッカー部活動は一時中断
 西医体 第1回大会 (S24年) 不参加
 西医体 第2回大会(S25年) 不参加
 西医体 第3回大会 (S26年) 不参加
○ 西医体参加のため急遽サッカー部再建      部長:上村良一
 西医体 第4回大会(S27年 明石) 初参加で3位 (チーム数?) 主将:小先 優勝 岐阜大
 西医体 第5回 大会(S28年 岐阜) 1回戦敗退 (チーム数?) 主将:荒木- 倉田 優勝 岐阜大
 西医体 第6回 大会(S29年 徳島) 決勝 岐阜に 2:1で敗れ2位(16) 主将:児玉(格)  優勝 岐阜大
 西医体 第7回 大会(S30年 京都) 決勝 岐阜に 0:4 で敗れ2位(12) 主将:横崎元雄、永田信雄  優勝 岐阜大
    この頃まではは岐阜大の全盛期

大学医学部三十年史 医専一回生 岩森 茂 記、 医学部一回生 児玉 求 記

初優勝から第一期黄金期

初優勝 初優勝

( 左:伊勢湾台風でドロンコの試合、くじの成り行きを見守るイレブン。右:初優勝チーム、児玉求監督を囲んで。)

年度
開催地
優勝校
広大順位
主将
監督
部長
昭和31年(1956年)8岡山岡山大学2位児玉 求、永田信雄 上村良一
昭和32年(1957年)9福岡岡山大学4位斎藤泰造 上村良一
昭和33年(1958年)10名古屋岡山大学4位中前恒則児玉 求上村良一
昭和34年(1959年)11大阪広島大学1位梶尾克彦児玉 求岩森 茂

 西医体 第8回大会 (S31年 岡山) 決勝 岡大に0:2 で敗れ2位 (14) 主将:児玉(求) 優勝 岡大
   ここから広島大学医学部生のみのチームになった。
 西医体 第9回大会(S32年 福岡) 準決 京都に敗れ4位 (14) 主将:横崎  優勝 岡大
   この年より医学部は広島市霞キャンパスに移転
 西医体 第10回大会(S33年 名古屋) 準決 岡大に抽選負け4位 (18) 主将:斎藤  優勝 岡大
   参加チームは18大学となった。岡大の全盛期
 西医体 第11回大会(S34年 大阪) 決勝延長 岐阜に3:0で勝ち初優勝(18) 主将:梶尾
   雨中の激戦、梶尾キャプテンのくじ運で、金沢大、岡山大に2回抽選勝ち
   この年より医進コースも西医体に参加できるようになり、岐阜大との延長の 1点目は医進の西亀のロングシュートで 、その後2点入れ 3:0で優勝
   大阪難波で盛大な飲み会 この年より監督:児玉(求)、部長:岩森 茂

広島大学医学部三十年史 医学部 一回生 児玉 求 記

年度
開催地
優勝校
広大順位
主将
監督
部長
昭和35年(1960年)12広島広島大学1位茶幡隆之児玉 求岩森 茂
昭和36年(1961年)13京都神戸大学2位岸 明宏児玉 求岩森 茂
昭和37年(1962年)14熊本 2回戦敗退岡田 宏児玉 求岩森 茂

広島開催 広島開催

( 左:第12回西医体は広島開催。右:各競技の優勝杯。)

 西医体 第12回大会(S35年広島) 決勝 神戸大 岸のPKで連続優勝 (19) 2回目 主将 茶幡隆之
 西医体 第13回大会 (S36年京都) 決勝 神戸大に敗れ 2位 (19) 主将 岸 明宏 優勝 神戸大
   この年 全医体?開催(東京) 優勝 広島大 2位 慶応大
                 11回から13回までを 第一期 黄金時代

連続優勝 連続優勝

( 連続優勝)

 西医体 第14回 (S37年熊本) 1回戦 不戦勝  2回戦 岡大に1:2で敗退 主将 岡田 宏  優勝 ? 大  
   試合後、岩森部長に内緒で全員いなくなり、部長は寂しく帰られました。
   岡田キャプテン以下全員丸坊主、何人かは陸上競技に出場 。
   この屈辱をバネに38年より第二期黄金時代が始まる。

広島大学医学部三十年史 医学部 一回生 児玉 求 記

H28.2.14.更新、文責 S37卒 岸 明宏

 広島大学医学部サッカー部戦績一覧表(昭和27年度より)
 (広大医学部蹴球部が獲得した初優勝時の行方不明の優勝杯の写真は別掲載する)
第12回広島大会時の出場メンバー(○は学年)
監督 児玉 求  主将 茶幡隆之  マネージャー 上綱誠光
選手 GK 岡田 宏B  RB 関口善孝D LB 八木哲夫D  竹林脩文A
   RH 渡辺 繁D  CH 茶幡隆之E LH 西亀正之A  新田康郎A
   RW 河村隆弘E  RI 上綱誠光D CF 伊藤隆明D  いな川 魏@
   LI 岸 明宏D  LW 益田 厚B   清水裕弘B

連続優勝

(上村良一初代部長とS37卒岸、この優勝カップが行方不明である。広大付属高校G)

西日本医科体育大会サッカー部門 成績一覧表
 広大医学部(医専、医科大を含む)は第4回大会から3部門に参加している。
 (サッカー3位、軟式野球2位、バレーボール?)

昭和
開催地
参加数
優勝
2位
3位
4位
124     
25      
26     
27明石 岐阜神戸 広島 
28岐阜 岐阜   
29徳島14岐阜広島名古屋市立和歌山
30京都12岐阜広島大阪市立九州
31岡山14岡山広島大阪市立岐阜
32福岡14岡山京都大阪市立広島
1033名古屋18岡山京都神戸広島
1134大阪18広島岐阜引分
金沢 京都
1235広島20広島神戸徳島岡山
1336京都神戸 広島  
1437熊本2回戦 敗退   
1538金沢広島京都府立  
1639神戸広島岡山  
1740小野田広島金沢   
1841京都広島熊本  
1942鹿児島広島熊本  

 以下資料欠如しているが、昭和38年より11連覇している。参加校も現在は48校である。

第1回 全日本医体(蹴球部門)東西優勝校交流戦
 広島市 昭和35年4月23日 於 国泰寺高校G
 昭和34年度東西優勝校。慶応は旧広大教養部Gで練習した。花崗岩の砂で戸惑ったらしい。関東は火山灰で小石川サッカー場(S33年にアジヤ大会時建設)等ではふわふわである。
    広島大医 1( 0−1、1−3 )4 慶応大医

第1回 全日本医体 第1回 全日本医体

( 左:国泰寺高校G。右:広大ゴール前。)

第2回 全日本医体(蹴球部門)
 東京遠征 昭和36年4月29日〜5月3日
 昭和35年度東西医体決勝戦(西医体優勝校:広島大医、東医体:慶応大医)
S36.4/29 広島大医 6(4−0 2−0)0 京都大医  於京大農G
5/1 広島大医 2(1−0 1−1)1 慶応大医(東医体1位) 於小石川
5/2 広島大医 1(1−2 0−0)2 日本医大(東医体2位) 於小石川
5/3 広島大医 2(0−0 2−1)1 千葉大医(医歯薬L1位)於千葉一高
  昭和35年度の東西優勝大学他です。

第2回 全日本医体

(第2回 東西優勝校交流戦 東京 対千葉大学 日大千葉第一高校G)

第3回全日本医体(蹴球部門)
 東京遠征 昭和42年10月31日〜11月1日
 (S43.1.10.編纂の部誌では上記S42年が第1回となっているが実はS35.4.が第1回であることが慶応義塾医学部誌で判明した)

 広島大医  5(2−1 3−1)2 東京医科歯科大
 広島大医  5(2−2 3−0)2 東京医科大(島 健君 主将)小石川ST
 東京医科大 3(・・・・・・・)2 東京医科歯科大
 

 林睦雄 編集

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