主務の歴史

マネージャー事始め

 私は昭和43年(1968年)入学、49年卒業です。同級生には岩森 洋(前、中電病院院長)、岡田芳和(前、東京女子医大病院長)、追中松芳(三原日赤病院眼科)がいました。誰か他にいたかな?
 医進の2年頃から(たぶん奥平先輩?)に手伝えと言われ、マネージャーになりました。私の前は日高 徹先生(元、安佐市民病院長)と奥平信義先生(前、マツダ病院長)がされていました。日高先生はバックス、奥平先生はキーパーをしていて鎖骨骨折で引退??
 私は3年ぐらいマネージャーをやり、濱中喜晴先生(51卒、現・県立安芸津病院長)が引き継ぎました。その頃、ここにどういう事情だったのか「マネージャーさせてください!」と元気に登場したのが佐藤千代美先生(51卒、旧姓:畠山)そして東儀君子先生(51卒、旧姓:横山)のND精神の女の子!でした。
 二人とも可愛くてドキドキしていたことを覚えています。汗だくのマネージャーから、花のマネージャー時代到来。ただいつごろ辞めていったのか覚えていません。(津元先生、覚えていませんか?)
 この後、誰かがあって竹本 剛先生(56卒)・・・・出原先生に繋がっていったのかなと思います。
 広仁会名簿を見ると、卒業まで続けなかったけど、結構面白かった部員もいましたね。

高田 昇

OB会設立

 58年卒の出原(旧姓 稲住)眞理加と申します。恐らく、医学部女性マネージャーとしては、初代にあたると思います。
 昭和52年の入学当初は、竹本剛さんが、専任マネージャーをしておられました。部報は竹本さんの指示で適宜作っていました。、新入生報告、中四や西医体のスケジュールや結果、コンパ案内、追いコン、卒業生入局先などを掲載しておりました。
 発送用のOB名簿も渡されていました。大学の事務部で手書きの原稿を輪転機にかける為の熱式の機械にかけた後に、輪転機で印刷していました。発送の封筒も手書きでした。 1年生から2年生に上がる、春休みに部員で手分けして、OBの先生方を訪問して、寄付をいただいていました。
 2年生時に、事情はわかりませんが、竹本さんが、マネージャーを降りられ、下永田さんが、選手兼マネージャーをされました。
 当時、近隣の先輩方にばかり、無心することになるから、OB会をきちんと組織して、広く、寄付をいただこうという運びになりました。テニス部が会則とかをしっかりと作って組織されているという話をきき、お願いして、会則をみせていただきまました。
 それを参考にして、広島大学医学部サッカー部OB会として新たに会則を作りました。それを持って、当時霞町に住んでおられた上村良一先生のお宅へ伺い、会発足と会長になって頂く了承を得ました。
 会則の中で、部員はOB諸氏の期待にそうべく、精進する、毎月部報を発行して、活動報告をすると明記されており、マネージャーの仕事として、備品や部費管理と共に、毎月の部報発行が大きくなりました。また、OB名簿を毎年発行するにあたり、パソコンなどない時代で、広仁会名簿をコピーして切り貼りして作成しました。
 また、追いコンが総会に相当し、その場で会計報告をするということも決まり、明朗会計が始まりました。
 部報の封筒の裏の差出人を手書きしていましたが、上村先生がサッカー部の住所入りのゴム印を作って下さいました。
 また、遠方の先輩方には、郵便振込は感じが悪いのでは?との危惧もありましたが、試合などで行ったおりには、直接報告に上がります、という一文をつけることで、了承を頂いた、と記憶しています。
 実際に東京遠征のおりには、電話でご都合を伺って、訪問したことをおぼえております。諸先輩方のご協力があり、毎年、百万円超のご寄附をいただけるようになりました。 当時は、大きい試合は、中四、西医体、東京遠征でした。交通費の助成ができ、部員一同、大変感謝していた次第です。
 以上、OB会について、記憶を頼りに綴ってみました。
 下永田さん、藤井俊さん、呑村孝之君、三浦君、青儀君、くらいまで選手兼主務であったと記憶しています。医学部女性マネージャーも附属繋がりで、隔年で入部してくれて、仕事を引き継いでくれました。
 当時は女子学生も少なく、入れるクラブも少ないなかで、サッカー部で過ごせたことは、本当に貴重な財産となりました。
 昨年の西医体優勝祝賀会は、私達女性マネージャーにも大変嬉しい会となりました。

出原 眞理加 拝
 

OB会から後援会へ

年度
開催地
優勝校
広大順位
主将
監督
部長
主務
昭和24年(1949年)1  不参加徳岡昭治  山本武夫
昭和25年(1950年)2  不参加    
昭和26年(1951年)3  不参加    
昭和27年(1952年)4明石岐阜大学3位小先誠也、荒木 寛 上村良一絹谷一雄
昭和28年(1953年)5岐阜岐阜大学1回戦敗退荒木 寛、倉田昭典 上村良一絹谷一雄
昭和29年(1954年)6徳島岐阜大学2位児玉 格 上村良一木村憲治
昭和30年(1955年)7京都岐阜大学2位横崎元雄、永田信雄 上村良一児玉 求
昭和31年(1956年)8岡山岡山大学2位児玉 求、永田信雄 上村良一斎藤 実
昭和32年(1957年)9福岡岡山大学4位斎藤泰造 上村良一中前恒則
昭和33年(1958年)10名古屋岡山大学4位中前恒則児玉 求上村良一茶幡隆之
昭和34年(1959年)11大阪広島大学1位梶尾克彦児玉 求岩森 茂茶幡隆之
昭和35年(1960年)12広島広島大学1位茶幡隆之児玉 求岩森 茂上綱誠光
昭和36年(1961年)13京都神戸大学2位岸 明宏児玉 求岩森 茂益田 厚
昭和37年(1962年)14熊本 2回戦敗退岡田 宏児玉 求岩森 茂竹林倫文
昭和38年(1963年)15金沢広島大学1位清水裕弘児玉 求岩森 茂いな川 魏
昭和39年(1964年)16神戸広島大学1位西亀正之児玉 求岩森 茂宮崎正毅
昭和40年(1965年)17小野田広島大学1位井原俊彦土肥雪彦岩森 茂宮崎正毅
昭和41年(1966年)18京都広島大学1位中村雄二土肥雪彦岩森 茂宮岡繁樹、三木邦彦
昭和42年(1967年)19鹿児島広島大学1位林 道義茶幡隆之岩森 茂黒田義則
昭和43年(1968年)20名古屋広島大学1位林 浩二岡田 宏岩森 茂奥平信義
昭和44年(1969年)21大阪広島大学1位黒田義則益田 厚岩森 茂高田 昇、畠山千代美、横山君子
昭和45年(1970年)22岡山広島大学1位林 睦雄西亀正之岩森 茂高田 昇
昭和46年(1971年)23京都広島大学1位相模浩二西亀正之横路謙次郎高田 昇
昭和47年(1972年)24長崎広島大学1位岡田芳和 横路謙次郎浜中 良晴
昭和48年(1973年)25金沢大阪医大2位本家好文 横路謙次郎 
昭和49年(1974年)26和歌山大阪医大2位住田佳樹宮岡繁樹横路謙次郎 
昭和50年(1975年)27鳥取広島大学1位原田光雄宮岡繁樹横路謙次郎 
昭和51年(1976年)28京都京都大2位(PK負け)高永甲文男 横路謙次郎 
昭和52年(1977年)29久留米 2回戦敗退(金沢大学)谷山清己田中求平横路謙次郎竹本 剛、稲住真理加、岡田雅子
昭和53年(1978年)30伊賀上野広島大学1位武田哲二原田達司横路謙次郎下永田剛、稲住真理加、岡田雅子
昭和54年(1979年)31大阪広島大学1位中野喜久雄 横路謙次郎藤井俊、稲住真理加、岡田雅子、川本ますみ
昭和55年(1980年)32徳島広島大学1位石川哲大松村茂次郎横路謙次郎呑村孝之、稲住真理加、本田真理、川本ますみ
昭和56年(1981年)33金沢広島大学1位藤井 俊岩森 洋横路謙次郎三浦義雄、稲住真理加、川本ますみ
昭和57年(1982年)34熊本熊本大学3位(PK負け 大阪医大)呑村孝之岩森 洋横路謙次郎青儀健二郎 、稲住真理加、川本ますみ 本田真理
昭和58年(1983年)35浜松広島大学1位三浦義夫本家好文横路謙次郎本田真理、川本ますみ
昭和59年(1984年)36和歌山広島大学1位青儀健二郎本家好文横路謙次郎本田真理、川本ますみ
昭和60年(1985年)37岡山高知医大2位松岡 隆 横路謙次郎川本ますみ、佐々木良子、安常 香
昭和61年(1986年)38滋賀高知医大初戦敗退(滋賀医大)田原 浩長岡修司横路謙次郎川本ますみ、佐々木良子、安常 香
昭和62年(1987年)39福岡  藤井 二郎長岡修司横路謙次郎佐々木良子、安常 香
昭和63年(1988年)40名古屋九州大学初戦敗退(九州大学)小林理一郎影本正之横路謙次郎佐々木良子、安常 香、樋口富美
平成1年(1989年)41大阪 3回戦敗退(岡山大学)柴田 論影本正之横路謙次郎樋口富美
平成2年(1990年)42高知大阪医大2回戦敗退(熊本大学)羽路 一 横路謙次郎樋口富美、北村佳子
平成3年(1991年)43富山九州大学初戦敗退(宮崎大学)角舎学行石川哲大横路謙次郎北村佳子
平成4年(1992年)44小倉浜松医大3位天野尋暢石川哲大 北村佳子、高橋紀代
平成5年(1993年)45名古屋佐賀医大3回戦敗退(佐賀医大)田中隆司石川哲大 高橋紀代、槙野洋子
平成6年(1994年)46神戸浜松医大3位(佐賀医大)木村 茂石川哲大 高橋紀代、槙野洋子
平成7年(1995年)47松山 初戦敗退(川崎医大)猪口淳一石川哲大西亀正之槙野洋子、島筒里香子
平成8年(1996年)48石川九州大学2回戦敗退(九州大学)平本哲哉石川哲大西亀正之島筒里香子
平成9年(1997年)49宮崎 3回戦敗退(九州大学)中前敦雄板本敏行西亀正之島筒里香子、高下敦子
平成10年(1998年)50福井 2回戦敗退(大阪医大)日高貴之板本敏行西亀正之高下敦子
平成11年(1999年)51大阪 2回戦敗退(大阪医大)藤森 淳板本敏行西亀正之高下敦子、佐野祥子
平成12年(2000年)52島根 2回戦敗退(和歌山医大)中前稔夫板本敏行西亀正之佐野祥子、久保美穂、岩崎福美
平成13年(2001年)53北九州 初戦敗退(関西医大)渋谷早俊板本敏行西亀正之久保美穂、岩崎福美
平成14年(2002年)54岐阜熊本大学初戦敗退(長崎大学)岩永甲午郎池田 聡菊池 章陣内真美、安富理恵子
平成15年(2003年)55神戸宮崎医大2位御厨美洋池田 聡菊池 章中山真由美
平成16年(2004年)56香川宮崎医大2回戦敗退(大阪大学)野田良典池田 聡菊池 章 
平成17年(2005年)57大分岡山大学初戦敗退(和歌山医大)渡辺雄介池田 聡菊池 章 
平成18年(2006年)58名古屋 2回戦敗退(三重大学)豊田和宏池田 聡岡島正純牛木真理子
平成19年(2007年)59京都浜松医大2回戦敗退(島根医大)東 重慶池田 聡岡島正純若杉理恵
平成20年(2008年)60広島愛媛大学4位(岡山大学)露口勇輔池田 聡岡島正純坂本有加
平成21年(2009年)61沖縄浜松医大2回戦敗退(浜松医大)今岡祐輝宮田義浩岡島正純西田絵里奈
平成22年(2010年)62名古屋神戸大学 向原伸太郎宮田義浩岡島正純小田奈央、山口裕美
平成23年(2011年)63大阪藤田保険衛生大学3回戦敗退(福岡大学)仲田恭平宮田義浩岡島正純阿部郁女
平成24年(2012年)64岡山徳島大学4位(大分大学)中野貴之宮田義浩有広光司 
平成25年(2013年)65福岡浜松医大2回戦敗退(熊本大学)上妻陽介宮田義浩有広光司長谷川絢子、最上文子、宇佐川芙季、岩本葉津記
平成26年(2014年)66金沢徳島大学1回戦敗退(関西医大)藤解 諒宮田義浩有広光司田中彩恵、中森紗苗、野田詩織
平成27年(2015年)67大阪徳島大学3回戦敗退(宮崎大学)平野達也宮田義浩有広光司井上未奈子
平成28年(2016年)68徳島高知大学2回戦敗退(産業医大)中山直人宮田義浩有広光司 
平成29年(2017年)69山口福井大学1回戦敗退(藤田保険衛生)松原佑貴宮田義浩安達伸生栗 清香、小林咲季
平成30年(2018年)70三重広島大学1位荒牧修平中前稔生安達伸生下村啓祐

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