第三期黄金期
1978年から1985年
第三期黄金期
昭和51年、52年の屈辱の後、8年間に優勝6回、2位1回、3位1回の成績を収めました。
[1978年 第30回西医体 優勝 伊賀上野 忍者屋敷]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和53年(1978年) | 30 | 伊賀上野 | 広島大学 | 1位 | 武田哲二 | 原田達司 | 横路謙次郎 |
1回戦 2−0 関西医大
2回戦 1−0 愛媛大医 武田さんの奇跡のヘディング。
3回戦 3−0 金沢大医 谷山・太田・福岡先輩の敵討ち、ヤーさん骨折。
準決勝 4−1 岡山大医 ウド爆発! ゴール量産。
決勝 3−1 大阪市大医 細田先生、狂乱! お土産を全部忘れる。
試合中、言うことを聞かぬ武田さんを追い回して主審に注意を受けた。
金沢大戦でハッカイのシュートが決まってしまい、試合後は壊れたVTRのごとく同じ話が繰り返された。
九州大医・大阪医大・京大医など要注意、スタミナ倍増計画重要。
9月9日祝勝会 中野荘 40名を越すOBで入りきれず。
( 30回大会(1978年)の優勝メダル)
伊賀上野、武田キャプテン。
[1979年 第31回西医体 優勝 大阪河内長野 長居競技場]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和54年(1979年) | 31 | 大阪 | 広島大学 | 1位 | 中野喜久雄 | | 横路謙次郎 |
2回戦 5−0 京大医 エコさんのカタキ!
(ハッカイのシュートしたボールが川に落ち5分以上中断)
3回戦 2−1 近大医 早朝の試合で調整失敗。
4回戦 4−0 山大医 国泰寺出身の波出石君にてこずる。
準決勝 3−2 岡大医 中野さんが得点!!!
決勝 6−0 久留米医大 相手が半ば試合放棄。
大阪の平井先生が「ベスト4に入ったらお祝いをする」と発破。
優勝して豪華中華料理店「白楽」で大祝勝会、4つの財布から78万円の支払いの札を数えた。
全試合、呑村が開始5分以内に先制点。
岡山19番のヘッドは素晴らしい、というか、シェノオ君なんとかならんのか!
( 31回大会(1979年)の優勝メダル裏)
大阪 中野キャプテン。
[1980年 第32回西医体 優勝 徳島 阿波(泡)踊り]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和55年(1980年) | 32 | 徳島 | 広島大学 | 1位 | 石川哲大 | 松村茂次郎 | 横路謙次郎 |
2回戦 8−0 和歌山医大
挨拶の時、相手のFWが「もう広島は弱いで」と暴言。開始1分、相手が一度も
ボールに触らぬままスイーパーの塚原さんの強烈ボレーシュート炸裂!
3回戦 9−0 愛知医大
「広島がどれくらいのモンか」とまたも暴言。三浦、GKも抜いて後ろ向きで
シュート、チトこらしめておいた。
4回戦 3−0 名保大医
きれいな芝生のグラウンドにとまどう。
準決勝 6−2 浜松医大
前半終えて0−2、ハッカイの鮮やかなオウンゴール、加えてハーフタイムでザー様(財満先生)の訓示長く「人生も終わり」と思った。勝ち越しとなるPKでは足がすくんだ。
決勝 2−1 金沢大医
金沢は鍛え上げたチームだった。1−1にされて辛かったが、ウドが千金の勝ち越しゴール。
大阪医大・熊本大・金沢大はレベル高。岡山大・愛媛大・徳島大・京都大も嫌なチーム。ベスト8くらいからは、常に自分たちのサッカーが出来ないとやられる。練習量と調整のバランスをとる、ボールを追う楽しさが必要。メンバー頼りではなく「戦術とチームワーク」。
文責:「○と」石川
( 32回大会(1980年)の優勝時の学4生、昭和56年卒業)
写真右、後列左より 原田、竹本、沢村、市場、妹尾
前列左より下永田、石川、岡島。
( 32回大会(1980年)の優勝メダル)
1980.08.広島大学医学部サッカー部 部報
『 広大医サッカー 第32回 西医体優勝! 三連覇 達成! 』
我が広大医サッカー部は第32回西医体(徳島市)において念願の三連覇を遂げました。遅ればせながら今回の西医体の戦況報告をさせていただきます。
1回戦 不戦勝
2回戦 8−O 対 和歌山医大
試合前から雨が激しく降り始め、グラウンド状態はかなりひどくなった。緒戦ということでやや硬さがみられるかに思われたが、試合が始まるや、生き生きとしたプレーで相手を圧倒した。
前半4分、右サイドからウィング三浦がセンタリング、相手BKに当たって跳ね返ったところをCF岡島がつめて先制。更に2分後、CKを得た広大はHB沢村がヘッドで相手ゴールにたたきこんだ。更にその2分後、HB沢村のパスを受けたウィング三浦が右サイドから大きなセンタリング、これを鋭い読みでスルスルと前線に上がっていたスイーパー塚原が目の覚めるようなボレーをゴール右隅に突き刺し、これで早くも3−O。ここまでのシュート成功率は100%であった。
後半も終始相手を圧倒し、後半2分、PKを得た広大はHB石川が冷静に決め、続いて6分、ウィング三浦がHB呑村との見事な壁パスで抜け出てゴール。尚も広大は攻撃の手をゆるめない。その3分後にウィング月坂のセンタリングをCF岡島が決め、終了間際の32分には交代出場のHB青儀が、34分には交代出場のウィング藤井が加点し、8−Oという大差で西医体緒戦をものにした。
3回戦 9−O 対 愛知医大
愛知医大のkick off で始まった前半2分、早くも相手BKのクリアミスのボールをHB呑村がペナルティエリアの外からミドルシュートを決め先制。また前半5分、HB呑村→ウィング月坂→CF岡島→HB石川へと次々ときれいにパスが通り、石川が冷静に決め2−O。更に8分、ウィング三浦の蹴ったCKをCF岡島が見事なヘディングシュートをたたき込んで3−O。もはや愛知医大は防戦一方で攻めることはできない。前半27分、月坂からのパスを受けたHB石川が左サイドからマイナスの折り返し、ゴール前で待っていた三浦がケットし、前半で早くも4−Oと大差がついてしまった。
後半、相手に疲れが見え、広大はほとんど相手陣内で自由にパスを回すことが出来た。後半4分、右サイドからウィング月坂がセンタリング、これをCF岡島がトラップしてゴール正面にいるHB石川へっなぎ、石川がこれを決めて5点目。更に3分後、相手BKのクリアミスをHB沢村が決めた。攻撃の手をゆるめない広大は24分、交代出場のCF辻がスピードで相手を振り切り、きれいにゴール隅に決めて8−O、更に3分後、交代出場のウィング藤井がHB石川との壁パスからシュートを決め、9−Oという大差で愛知医大を打ちのめしてベスト8へ進んだ。
準々決勝 3−O 対 名古屋保健衛生大
今大会初めて晴れ上がり、暑い日となった。会場を徳島市陸上競技場に移し、準々決勝ということでやっと試合らしくなってきた。2回戦・3回戦と大差で勝利を得た我が広大は気を引き締めて試合に臨んだ。
前半、広大は度々相手のオフサイドトラップにひっかかり、なかなかペースをつかむ事が出来ず、焦りの色が少しばかり見られた。しかし、前半27分、ウィング三浦がHB呑村との壁パスで抜け出てシュートを決め先取点。これにより、広大はペースを取り戻し、前半終了間際、HB石川がゴール前にセンタリングしたのを月坂がきれいに決めて2点目。この得点は時間的にみて大変効果的なものであった。
後半はオフサイドトラップにかからないように壁パスを多用したりして相手BKを崩すが、得点に結びつかない。しかし、後半18分、CF岡島からのスルーパスを受けたウィング月坂は快足を飛ばしてゴール前へ突進してゴールイン、3−Oで準決勝進出を決めた。
この日もBK陣は相手に得点を許さず、これで3試合連続無失点。
準決勝 6−2 対 浜松医大
この目、今大会初めての午前の試合となった。そのためなのか、前半みんなの動きが悪く、どちらかと言えば相手のペースにはまっていた。
前半15分、広大BKが辛くもCKに逃れたあと、そのCKを決められてしまい、今大会初めて追う形となった。そして更にその4分後、相手のロビングボールを誤って自殺点を献上し、O−2と早くも2点差をつけられ、さすがに焦りの色は隠せなかった。「1点入れば…」という気持ちがみんなにあったのだが、その1点がなかなか入らないまま前半終了。
しかし、後半6分、CKを得た広大はCF岡島が左にいた月坂にヘッドで落とし、月坂がたたき込んで待望の1点を取った。それからというもの、広大の動きは水を得た魚のように生き生きとして、前半と後半でこのように違う事があるのかと不思議に思われるくらい素晴らしい動きをするようになった。そして後半16分、ゴール前のウィング月坂がHB石川からのパスを受け、ゴールに押し込み2−2の同点。更に17分、PKを得た広大は石川が決め、あっさり逆転。勢いづく広大は、更に18分、HB石川が左タッチライン沿いをドリブルでゴールライン際まで上がり、そこからパスを受けた交代出場の辻がGKともつれながら押し込み、追加点。また22分、CKをCF岡島からウィング月坂へとヘッドでつなぎ、5点目。さらにその3分後、ウィング三浦がHB石川との壁パスで相手BK陣をすり抜けシュート、GKがはじいたところを逆からつめた月坂がゴールに蹴り込んであっという間に6点を取ってしまった。冷や汗をかいた試合だったが、結局実力の差が出て6−2と勝ち、決勝へと駒を進めた。
決勝 2−1 対 金沢大医
この日は空は青く晴れ渡り、夏の日差しが照りつけていたが、涼しい風が吹き、絶好のコンディションで決勝戦を迎えた。
流石に決勝戦である。両チーム持てる力を発揮し、一進一退の攻防が繰り返された。しかし、実力に勝る我が広大は前半21分、右サイドでFB原田のスローインを受けたウィング三浦が右コーナー付近からマイナスの折り返し、ニアにつめたCF岡島が決めるかと思われた時にうまくスルー、後ろに構えていた月坂がフリーの状態でプッシュしてコンビネーションによる鮮やかな先制点を奪った。これで点差が開くかと思われたが、金沢もよく粘って必死で守り、1−Oで前半終了。
後半9分、広大BKは相手の速攻に戸惑ったのか、左サイドから右サイドヘ大きく振られ、相手をウィングにフリーの状態でシュートを打たれてしまい、1−1の同点になってしまった。しかし、その直後の後半10分、広大はCKを得、ゴール前で待ち構えるCF岡島が6年間の集大成ともいえる見事なヘディングシュートで勝ち越し点を挙げ、結局これが決勝点となって我が広大は見事に西医体三連覇を成し遂げたのである。
≪ 祝勝会のお知らせ ≫
今夏の西医体三連覇達成の祝勝会を開催したいと存じます。
優勝カップで飲む酒はまた格別のもの、広大医サッカー部一同、先生方のご出席をお待ち申し上げております。
何卒ご出席くださいますよう、お願い申しあげます。
日時 : 昭和55年9月13日(土) 18:30〜
会場 : 中野荘 広島市南区南段原町25-35 1el 0822・51-7009
会費 : 7000円
部長:横路 謙次郎 主将:石川 哲大
[1980年 全医体 2位]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和56年(1981年) | 33 | 金沢 | 広島大学 | 1位 | 藤井 俊 | 岩森 洋 | 横路謙次郎 |
(1980年 第15回全医体)
東京で開催され東北大に次いで2位でした。
1981年 第33回西医体 優勝
レギュラー6名が抜けた後、春田、社長中光、真鍋、福富、堀場、荻野、久保らの
学年で優勝!
彼らの努力を讃えるとともに我々にとっても嬉しい優勝であった。
文責:「○と」石川
( 33回大会(1981年)の優勝メダル裏)
金沢 藤井キャプテン。
( 33回大会)
写真左は優勝チーム。写真右は一番後ろ遠景は板本、後列は左から三浦、荻野、青儀、前列左から月坂、春田、藤井、辻。
(優勝トロフィーとカップ、優勝盾)
荻野、三浦、藤井、月坂、辻。
[1981年 全医体 優勝]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和57年(1982年) | 34 | 熊本 | 熊本大学 | 3位(PK負け 大阪医大) | 呑村孝之 | 岩森 洋 | 横路謙次郎 |
(1981年 第16回全医体)
広島で開催し優勝しています。
1982年 第9回 中四 優勝
(1982年中四)
出雲で開催され優勝しています。
1982年 第34回西医体 3位
(34回大会(1982年)は3位の銅メダル)
(1982年西医体)
58卒のメンバーは坊主になりました。3位決定戦を見守る。左から、辻、中村、呑村、板本。
[1982年 全医体 初戦敗退]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和58年(1983年) | 35 | 浜松 | 広島大学 | 1位 | 三浦義夫 | 本家好文 | 横路謙次郎 |
(1982年 第17回全医体)
仙台で開催され初戦で埼玉医大に敗退しています。
1983年 中四 優勝
(1983年中四)
高知で開催され優勝しています。
1983年 第35回西医体 優勝
( 35回大会(1983年)の優勝メダル)
浜松 三浦キャプテン。
(1983年 35回西医体優勝メンバー)
表彰式。
[1983年 全医体 優勝]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和59年(1984年) | 36 | 和歌山 | 広島大学 | 1位 | 青儀健二郎 | 本家好文 | 横路謙次郎 |
(1983年 第18回全医体)
1983年全医体、広島で開催され優勝しています。
1984年 中四 優勝
(1984年中四)
広島で開催され優勝しています。
1984年 第36回西医体 優勝
( 西医体36回大会(1984年)の優勝メダル裏)
和歌山で開催、青儀キャブテン。
(1984年 36回西医体優勝メンバー)
第36回西医体優勝。
[1985年 第37回西医体 準優勝]
年度 | 回 | 開催地 | 優勝校 | 広大順位 | 主将 | 監督 | 部長 |
昭和60年(1985年) | 37 | 岡山 | 高知医大 | 2位 | 松岡 隆 | | 横路謙次郎 |
(1985年 第37回西医体)
1985年 第37回西医体 岡山で開催され2位でした。松岡キャプテン
(1985年 第37回西医体準優勝)
1985年第37回7西医体準優勝。