脇役に徹して
「コントラバスは、じゃがいもが階段をころころと転がっていく時のような音を出します。」とおっしゃるのは、広島交響楽団の首席コントラバス奏者の斎藤賢一さんです。
1956年、東京は日野市に産声をあげ、加古川市の中学時代、男だからと言うことで、コントラバスを受け持たされ、今日に至る。国立音楽大を卒業後、1978年より広響、と在籍は長く、広響の歴史と共に歩んでこられたと言えます。
「入団当時は、はっきり言って、オーケストラ自体未熟でしたね。だれも今日の進歩は想像できなかったでしょうね。格段の差ですよ。」1981年から84年までスイスでヨハン・ゴイラーフ氏に師事、マスタークラスを受講。ソロ活動、リサイタルなど、帰国後も1990年から、アフィニス文化財団の給費留学生として再びスイスにて学ぶ。ベルリンでオーケストラ曲の研鑚をつむ。
「コントラバスは縁の下の力持ち。個々の楽器とのバランスを見ながら、全体を低音で支えなければなりません。コントラバス奏者でありながら、我慢できずについに指揮者になった人もいます。」
斎藤さんには、ピアニストの愛妻の真美子さんがおられたのですが、一昨年膵臓ガンで亡くなられました。いつも定期演奏会を楽しんで聞いていた真美子さんに代わって、香典から2席を「斎藤真美子メモリアルシート」として、2002年まで購入されました。席は、コントラバスの正面に近い席で、車椅子の出入りのやさしい所です。生前真美子さんがボランティアとして障害者のグループと関わっていたからです。
斎藤さんはまた室内音楽家としても、「カルトッフェル・コントラバス・カルテット」を1985年に結成、広響のメンバーと、サロンコンサートに取り組んでいます。カルトッフェルとは、ドイツ語で「じゃがいも」という意味です。斎藤さんの今後のご活躍を期待しましょう。